外国為替取引の常識

一九八七年二月二十二日に、パリのルーブル宮でG7(七カ国蔵相・中央銀行総裁会議)が開かれ(イタリアは欠席)、参加国間で為替政策と経済政策の合意が成立しました。これがルーブル合意といわれるものです。ルーブル合意では「いまや各国の通貨は経済の基礎的条件におおむね合致した範囲内にある」として、「為替レートのこれ以上の大幅な変化は各国の経済政策と調整を損なう恐れがある」という認識で一致しました。プラザ合意以降、急速に進んだドル安にひとまず歯止めをかける必要があると判断して、為替安定の政策協調で一致したわけです。ルーブル合意後、しばらく安定していた為替相場は、米独の金融政策の対立をきっかけに波乱を迎えます。八七年十月の世界同時株安(ブラックマンデー)と、それに続くドルの全面安です。そこで八七年十二月末にG7は電話で連絡を取り合い、協調介入でドル安の流れを食い止めました。これがクリスマス合意と呼ばれるものです。そして、八〇年代後半はこれらの合意が国際協調の基本になりましたが、問題点も顕著になりました。円やマルクを適正水準にはりつけておくには日本やドイツがどうしても景気刺激策をとらざるをえないというものです。八九年五月に公定歩合を引き上げるまで、日本は好況下の低金利政策を続けました。日本ではバブルの発生とも絡み、この時期の政策協調のあり方については、今でも議論が絶えません。

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