ドリスーヴァンーノッテンは、1958年、ベルギー、アントワープ生まれ。実家は生地屋。81年、アントワープ王立芸術学院卒業。85年、アントワープに初のブティックをオープン。86年にロンドンで、91年にパリでメンズコレクションを発表。同年には日本にも進出。フランドル人としてベルギーを愛し、現在も活動の拠点をアントワープに置いている。アヴァンギャルドな作風が特色のアントワープ第2部券ブランド図鑑派において、比較的コンサバティブな服を作り続けている。リアルクローズとして気軽に着られるのが身上。オリエンタルなファブリックを好んで使い、ノスタルジックな味わいを出している。繊細な色使いには誰もがため息を漏らすほど。トレンドに左右されない職人的な頑固さには脱帽。
縫製や編立工場はアパレルメーカーと提携あるいは下請けの関係にあるもので、バブル崩壊以降は労働コストが高い日本から安価なアジアへ生産拠点を移している企業も多い。それでも長年培った技術力を武器に抜群の信頼を保っている工場も存在し、商品に差別感を与える大切な工程となっている。近年では、このような国内の高い技術や品質を再評価して地方の産地に回帰する傾向も顕著で、活気を取り戻した地域もあるようだ。百貨店やスーパー、専門店、インターネットを含む無店舗販売などの流通業は商品を消費者に届ける役割を担っている。衣料品はどの販売チャネルでも重要なアイテムだが、とくに百貨店では、総売上高の約4割以上を占める重要な商品である。
ローマがふたたび歴史の表舞台に登場するのに合わせて、サルトリアーロマーナ(ローマ風仕立文化)も勢いを増していく。後にパリに進出して成功を収めるチフォネリがアトリエを開いたのもこの時代のことだ。さらに20世紀に入ると、イタリア仕立界で聖人のごとく崇められている初代ドメニコーカラチェニが登場して人気を獲得するにいたる。チフォネリやカラチェニらによって、サルトリアーロマーナの基礎が築かれていった。そうした時代があったからこそ、第2次世界大戦後、イギリスのサヴィルロウとは別に、アンジェロ・リートリコやブリオーニといった川指のイタリアの仕立が登場することになる。1950年代、世界の指導者たちのあいたではイタリアの仕立が好まれるようになった。冷戦を演出したニキーターフルシチョフ(ソビエト連邦の政治家)とジヨン・F・ケネディ(第35代アメリカ大統領)のふたりがともにアンジェロ・リートリコで仕立てていたのは、現代史の隠れたエピソードだろう。貴族の出身であったフルシチョフは当初、ケネディを「青二才」として取り合おうとしなかった。ところが妻ジャクリーンの優雅な物腰と、ケネディが着ていたスーツの仕立の素晴らしさに認識をあらためた。リートリコは1950年代にニューヨークへ進出し、成功を収めたイタリア移民を中心に人気を獲得した。おそらくケネディはイタリア移民のネットワークを介してりIトリコを知ったと考えられる。しかし残念なことに、リートリコは一代かぎりで、彼の死後はその仕立が残ることはなかった。
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